亡くなられた日及び毎月の同じ日。
一年以後の亡くなられた月の命日は祥月命日(しょうつきめいにち)と言います。
命日の前夜にあたる日。
命日を一日目とし、七日目の法事で初七日
以降、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(四九日)に至ります。
この日を目安に納骨、埋葬等を行う場合が多いです。
・百ヶ日
一周忌前の大切な忌日。
ご供養の際はぜひ、お塔婆を建てられる事をお勧め致します。お釈迦さまの時代より続く大変功徳のあるご供養です。日蓮大聖人も信徒の皆さんにお塔婆の功徳を説かれ、お塔婆供養を営んでおられました。
私達が普段呼ぶお塔婆とは正式には卒塔婆(そとば)と言い、古いインドの言葉である梵語のストゥーパを音写したものです。古代インドではお釈迦さまのご遺骨を奉安しお徳を讃えた仏塔の事をさしました。この仏塔が中国を経て日本に入り三重塔、五重塔となったと言われています。私達が現在お供えするお塔婆を見て頂くと、塔婆の上部に五段の切り込みがあります。これは五重塔の名残であり、下から地・水・火・風・空の五大と呼ばれる宇宙の構成要素を表しています。
南無妙法蓮華経と記されたお塔婆はまた、仏さまが法華経を説かれる世界を表します。仏塔即ちお塔婆を建て仏さまのご遺徳を讃え、合わせて亡き霊の法号(戒名)・俗名を一緒に記しご供養する事で、速やかに仏さまの世界へと導かれるのです。さらにはお塔婆供養を捧げる私達も大きな功徳を積む事が出来ます。また、お塔婆供養の功徳を捧げられたご先祖様や諸精霊は、その感謝を忘れず私達を陰になりご守護して下さいます。
日蓮大聖人もまたお塔婆供養の功徳について信徒の方にあてられたお手紙の中で次のように述べられております。
「亡き娘さんの十三回忌には卒塔婆を建ててその面に南無妙法蓮華経と写しなさい。すると、北風が吹けば、南の海の魚たちまで、その風に当たって大海の苦しみから救われ、また東風が起これば、西の山に棲む鳥やけもの達までも、その風にふれて畜生道からのがれてやがて天上界に生まれかわる事が出来るのです。ましてや、すすんで塔婆をたて自らの手にふれ、自分の目で確かめる人々が必ず仏となれる事はもちろんの事であります。
今は亡き父や母も、塔婆を建てて供養してもらった功徳によって、日月が闇を照らすように迷い苦しみから解き放たれ、仏さまの世界へと導かれるのです。
それと共に塔婆をたてて供養をした人は、自分の寿命をのばす事ができ、亡くなった後は父や母と同じように、仏さまの世界に生まれかわる事が出来るのです。この事は水が澄んでいれば必ずその水には月が写り、鼓を打てば響きが起こるのと、同じ事だと思いなさい。」(意訳)
お塔婆でのご供養 大太鼓でのお題目供養
令和6年 年回忌早見表
年 回 忌 | 亡くなられた年 |
1 周 忌 | 令和5年 |
3 回 忌 | 令和4年 |
7 回 忌 | 平成30年 |
13 回 忌 | 平成24年 |
17 回 忌 | 平成20年 |
23 回 忌 | 平成14年 |
27 回 忌 | 平成9年 |
33 回 忌 | 平成4年 |
37 回 忌 | 昭和63年 |
43 回 忌 | 昭和58年 |
47 回 忌 | 昭和53年 |
50 回 忌 | 昭和50年 |
100 回 忌 | 大正14年 |
宿坊は仏教寺院などで、おもに修行中の僧侶が寝泊りをする建物でありました。
本来は僧侶のみが宿泊する施設でしたが、平安時代の寺社参詣の普及により、貴族や武士、更には一般の参詣者も宿泊させるようになりました。
現在ではお寺の団体参拝はもちろんの事、個人、日蓮宗の信徒ではないお客様もお泊り頂けます。
お寺に泊まるの?と疑問に思う方もおられると存じますが、ホテル、旅館とはまた違う趣がございます。
お泊りの際は、早起きをして、ぜひ日蓮宗総本山 久遠寺の朝勤(ちょうごん=朝のお経)にお出かけ下さい。
身延山の霊気と久遠寺の荘厳な空気に身も心も癒されます。
また、当坊秘伝の御祈祷を用いた、ご祈願、ご相談、ご供養も随時受け付けておりますので、お若い方もお気軽にお申し付け下さい。
なお、当坊には福島県の会津磐梯山の噴火を鎮める為にその当時、麓に安置されたと伝えられるお佛舎利(お釈迦さまのご遺骨)も奉安されております。このお佛舎利は身延山 奥の院 思親閣のお釈迦さまの胎内と神奈川県の宗教法人思親会に当坊より分祀されています。こちらのお開帳(お佛舎利を特別に拝んで頂く為のお経)も随時受け付けておりますので、お問い合わせ下さい。
ご希望により、写経体験や日蓮宗独自の唱題行(しょうだいぎょう・瞑想を組み込んだ、お題目を専門にお唱えする修行法)も体験できます。
いのちにシャワーのお参りに、ぜひ身延山へお越し下さい。心より、お待ち申し上げます。
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