志摩房のご案内

  • 身延山には、日蓮宗総本山久遠寺を中心に東谷、西谷、中谷の3つの谷に31の坊が点在しております。その中でも、約20の坊が宿坊(しゅくぼう)として、全国よりお参りの皆様にお泊りを頂いております。
  • 要行院 志摩房(ようぎょういん しまのぼう)はその中の1つであり、平成29年で742年の歴史を迎えました。身延山の宿坊の中で現存する、最も歴史の長い坊でございます。
  • 東谷参道の入り口に位置し、門前町にも近くお買い物にも便利でございます。
  • また、当坊門前の親子しだれ桜や右近桜、つつじなど四季折々の花も見どころの一つです。
  • 身延山へのご参拝、また観光の折は、ぜひ ご宿泊下さいませ。
  • なお、ご祈祷、ご供養、写経体験、唱題行(瞑想を含む)なども承りますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

写真で散歩・・・画像をクリックすると拡大写真が閲覧出来ます!!

志摩房坊名石碑.JPG 

  山門 平成33年建立100年.jpg

玄関ロビー.jpg  玄関上の巨木梁.JPG  本堂内.jpg 

 

紅しだれとはなもも.jpg 

 

右近桜.JPG 

 山号額 池上本門寺第83世日彰猊下御染筆.jpg

 

アジサイ.JPG 

 

本堂.JPG 

  夜桜ライトアップと夜桜見物犬.JPG  サンザシ.jpg    ザクロ.JPG  池をかこむつつじ.jpg   しだれ白梅と雪の鷹取山.jpg 
個室お食事処・ゆるり庵.JPG 中庭とつつじ&枯山水.JPG

 中庭と池.JPG

さいじょうさま分社と案内板.JPG 前庭の池と龍の口.JPG

志摩房の歴史

1742年前、日傳上人(善智法印)により開創されました 

  • 当坊は、建治元年(1275年)2月8日、中老僧 肥前公 恵朝阿闍梨 日傳上人(ちゅうろうそう ひぜんこう えちょうあじゃり にちでんしょうにん)によって開創されました。
  • 日傳上人はもと真言宗の山伏で、善智法印(ぜんちほういん)と称しておりました。現在、身延山より甲府方面に車で30分ほど向かいますと、富士川町という町があり、そこに小室山という山がございます。今より約750年前の昔、小室山には真言宗の寺院があり、現在の関東一帯の真言の寺院を治めるほどの古刹でありました。
  • 善智法印はこの寺院において真言、修験の道を修め、ついには住職となりました 。

2善智法印と日蓮大聖人との法論、法力対決

大岩を使った法力対決.JPG日蓮大聖人は文永十一年(1274)5月17日に身延山に入られ、しばらくの間、甲州の地を法華経、お題目の教えを布教に周られました。その折、善智法印が大聖人の噂を聞きつけ、法論、法力対決を挑みました。

  • 伝説によると、善智法印が真言を唱え、空中に大きな岩をうかび上げると、大聖人が法華経、お題目を唱え、その岩をおろせなくしてしまったと伝えられます。
  • あっけなく、対決に敗れた善智法印はその場では大聖人に降伏をしました。しかし、内心、怒りの治まらない善智法印は大聖人の後を追いかけ、毒殺を試みたのです。

 

 

 

 

3善智法印、日蓮大聖人に弟子入り、日傳(にちでん)と名を授かる 

  • 現在、身延山より車で10分程の所に、逆さイチョウで名高い、上澤寺(じょうたくじ)というお寺がございます。当時はこのお寺も真言のお寺でありました。
  • 善智法印は当時のこのお寺の住職、法喜阿闍梨と相談し、帰路の大聖人にこのお寺での休憩をもちかけ、毒入りのぼた餠を差し上げました。

懺悔し弟子入りを請う善智法印.JPG勧められるがままに、大聖人がぼた餅を食べようとした、まさにその時、どこからともなく1匹の白い犬があらわれました。大聖人は、お前も食べたいであろうと、ぼた餅を犬にあげたところ、一口食べた犬は血を吐き、たちまちに絶命してしまいました。

この光景を目の当たりにした善智法印は、大聖人の不思議な神佛のご加護の前についに観念し、心からお詫び申し上げ、弟子入りをお願いしました。

  • 大聖人は、「おのずからよこしまにふる雨はあらじ 風こそ夜半の窓を打つらめ」と和歌を詠み、雨も風によってまっすぐ落ちずに、窓へと当たる、同じように善智法印も正しい心を持っていても、間違った教えにより道を誤っただけなのだと諭され、新たに日傳(にちでん)と名を授け、弟子入りをお許しになりました。

 

 

 

 

4志摩房の開創

  • 日傳上人は以降、大聖人のおそばで懺悔、お給仕申し上げるべく、自らの庵を要行院 志摩房と名付け、開創したのであります。
  • 現在の志摩房は東谷の地にございますが、当時は町営駐車場の上方にあり、この地を日傳上人自ら醍醐(だいご)と呼ばれたことから、その一体を醍醐谷と称すようになったと伝えられております。
  • 志摩房において常随給仕すること三年を経て小室山へ帰り、寺も妙法寺と名付け日蓮宗の寺に改めました。

5そして現在へ  

  • 志摩房は身延山久遠寺第六世法主 実教阿闍梨日院上人が二世となり、日傳上人の俗弟と云われた朝学院日義上人が三世を継いで基礎を固められました。
  • 文政十三年(1830年)には、現在の志摩房の地にあった秀悦坊と地所を交換し、醍醐谷から移転。後に数度の合併を経て現在に至っております。
  • 合併した坊の歴代上人を加えますと、ゆうに百代以上の住職が居られます。

   当地に落ち着いてからの志摩房は現住職 佐藤順行(さとう じゅんぎょう)で三十三代目。742年の歴史がございます。         日蓮宗公式ゆるきゃらこぞうくん&現住職 .JPG 

 

6志摩房歴代一覧

     開 創

    中老僧 恵朝阿闍梨 日傳上人

    大聖人直弟子・小室 妙法寺開山

      2世 実教阿闍梨 日院上人 身延山第6世
      3世  朝学院日義上人   
      4世  要行院日健大徳   
      5世 要行院 日怡大徳   
      6世 要行院 日豪上人   
      7世 要行院 日純上人  身延山第22世日遠上人弟子
      8世 要行院 日達上人   
      9世 十如院 日大徳  身延山第26世日暹上人弟子
     10世 法性院 日逗上人   
     11世 顕了院 日盛上人  身延30世日通上人弟子・麓坊・高雲庵歴世
     12世 観妙院 日完上人  身延山第32世日省上人弟子
     13世 要行院 日命上人  当院第12世日完上人弟子
     14世 大如院 日巧上人   端場坊歴世
     15世 泉應院 日静上人  身延山第41世日妙上人弟子
     16世 禎祥院 日秀大徳   
     17世 専妙院 日信上人  高雲庵歴世
     18世 教如院 日専大徳   
     19世 連樹院 日長上人   
     20世 潮哲院 日幸上人   
     21世 教智院 日行上人  常経坊・通感坊歴世 
     22世 太枢院 日玄上人  福泉坊・岸之坊歴世 
     23世 太量院 日考上人  覚林房・京都 通妙寺歴世 
     24世 太秀院 日忠上人   
     25世 妙俊院 日寿上人  覚林房・北之坊・戒善坊歴世
     26世 顕隆院 日勢上人  麓坊歴世
     27世 遠寿院 日徳上人  秀悦坊・法雲坊歴世
     28世 善教院 日受上人   
     29世 慈竜院 日昌上人  京都 妙竜寺歴世
     30世 本鏡院 日惇上人  東京 長耀寺歴世・経泉坊歴世
     31世 本寿院 日宣上人  身延 妙法寺歴世・思親閣38代別当
     32世 本要院 日演上人 七面山113代別当
     33世 本谷院 日学 ※現住職 (ほんこくいん にちがく)